二極の世界に生きること。

上手くいくこと、上手くいかないこと。

好き、嫌い。

得意なこと、不得意なこと。

良い、悪い。

 

この世は二極に分けられている。

 

何かをやるなら、上手くいかないよりかは上手くいったほうがよい。

嫌いなものよりも好きなものに囲まれていたい。

不得意なものよりも、得意なものが多い方がよい。

悪いことよりも良いことが多い方がよい。

 

二極に分けられた世界では、優劣というジャッジが行われる。

しかしどちらが良くて、どちらが良くないかは世間が決めることではなく、自らが決めるものだと思う。

いや、そもそもジャッジがあること自体、行われること自体が違うのかもしれない。

 

ジャッジを超えてその先にあるものは、ただ行為をするということ。

結果だけをみた時に、ジャッジする心が芽生えてしまう。

それならば、結果をみることなく、今この瞬間の行為だけに心を込めればジャッジする心は起こらない。

 

結果とは自ずと訪れるもの。

しかしだからといって適当な行為ではなく、良い結果を生みだすための努力はするべき。

その努力とは、知識を貯えることだと僕は考えている。

それは学問というよりも、技術や生き方としての知識。

 

知識を貯えたのなら、あとは行為をするのみ。

もしくは知識を貯えながら行為する。

 

その行為にこそ結果は既に含まれているのだから。

 

そのひとつの作業の中にすでに結果が含まれている。

 

 

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