ゆっくり歩くこと、ゆっくりいくこと

「ゆっくり、ぼちぼち」・・・これが人生のコンセプト。

 

走ることは、苦手で嫌いだ。

マラソンなんかをしている人を見ると本当に心の底から尊敬する。

 

走ることは、スポーツやトレーニングを除いて、短時間で目的地に辿り着くための方法。

歩くことは、ウォーキングなどを除いて、時間をかけてゆっくりと目的地に辿り着くための方法。

走ることは、急ぐことで、歩くことはゆっくりいくことだと思う。

僕はそのようにして、走ることと歩くことを区別している。

 

では、日常の生活の中で、どれくらいの時間を歩くようにゆっくりと過ごしているのだろうか。

 

会社や組織の中では、とにかくスピードと結果を求められる。

早く結果が出れば、それは素晴らしいやり方だったのであり、素晴らしい成果として認められる。

しかし、

逆に遅く、しかも結果がほどほどであれば、「そんなもんか・・・」と、認められない。

 

だから多くの人は、走り方を学ぼうと必死になる。

より速く、早く、結果を、と・・・

とにかく、多くの人は、より良い結果を出して他者から認められ、社会からも認められたいのだ。

 

だから、焦る。

だから、急ぐ。

だから、心ここに在らずの、未来思考になる。

 

結果とは未来のことで、未だ来ずの想像の世界だ。

当たり前だが、結果を出すためにはプロセスが大切で、そのプロセスとは、今ここで何をするかということだ。

よく言われる”原因と結果の法則”はこのことを言っている。

実はとてもシンプルな法則だ、というか当たり前のことを言っている・・・

 

未来に向かって、どのように進んでいくのかは、その人次第で、いうなれば勝手だ。

 

だからここで書いていることも、僕の見解であり、勝手だ。

と記した上で、僕の考えを書いてみる。

 

 

「ゆっくりぼちぼち」が僕の生きていく上でのコンセプト。

”ゆっくりぼちぼち”

この言葉の裏にあるのは、人生を味わい、瞬間を味わいつくすということ。

できるだけ遅く歩く、周りの景色を楽しむように、なるべく遅く歩く。

歩いていった先にどのような世界が広がっているか、今はまだ分からない。

未来に起こることは、全てが結果にすぎない。

だからと言って、未来の結果をないがしろにはしない。

その時に楽しんでいる自分や家族の笑顔、その時の環境や状況は思い描くことがある。

しかし、思い描いた上で、それを忘れる。(厳密に言うと、潜在意識に沈めておくようなイメージかな)

向上心を持つことや、素晴らしき未来を想像することは、決して悪いことではない。

しかし、問題は、そこに執着するあまり、今という大事な瞬間を見失うことだ。

 

だから僕は、想像したら忘れるようにしている。

そして、今をただゆっくりぼちぼちと歩き続けるのみ。

あとは勝手に、未来がやってくる。

 

そしてこのコンセプトは、ものづくりにもあてはまる考え方で、僕はゆっくりぼちぼちと今この瞬間に手を動かします。

どのようなものが出来上がるかは、実は分からずに作っています。

でも作る前に想像があるから大丈夫。結果は自ずとやってきます。

設計図のようなものを書いてみたり、人に頼まれて作る場合はきちんとした結果を出しますが、基本的には行き当たりばったりの偶然に出来上がるものが多いです。

でもそれでいいのです。

結果ばかりを求めて、効率ばかりを求めて、急いでしまうよりは、遅くてもいいから自分の人生に合った思想と哲学をもってものづくりに向き合うことが、僕が僕の人生を生きるということなのです。

 

他の誰かに認めてもらいたい、世間から認められたい、そのようにして認められるためのものづくりは、僕にとっては急ぎ足で焦りながら走っているようなイメージです。

 

ゆっくりぼちぼち、無駄に見えるような寄り道をしながら歩き続けたいのです。

 

 

 

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